広告の力と可能性

宣伝が効かなくなってきている?

テレビCMにのみならず、あらゆる広告宣伝にとって何よりも重要なのはインパクトだが、それに比重するように商業的な面でバランスが取れなければ企業としては制作費用の割りに利益を望むことは出来ないと取られる。子供の頃は何の疑問もなくCMを視聴していたが、年を重ねる毎にテレビで毎日様々なCMが放送されていたのは、あくまで商品を宣伝するため、いかにして一人でも多くの人の心に残るような宣伝といった観点から、テレビCMは作りこまれている。ただそうした多くの人の記憶に刻み付けるような、衝撃の強い作品を作り出すとなれば非常に洗練された技術と感性を以ってして、広告を製作していかなければならない。良く流れているCMも綿密に準備が施されて、ようやく映像として世に送り出せるだけの作品となる。

当然のように流れているCMの数を改めて数える事は出来ないが、ただその作られたCMすべてが何も考えられないで製作されているといったことはなく、広告宣伝において必要な基礎的な知識と技術、そして形に出来るだけの表現力を鍛え上げていなければならない。例えば面白いと感じるCMがあったとしよう、その面白さを作り出すためにどれだけの時間を以ってして為しえられるかは、いうまでもなく果てしなく考査しなければならない。簡単に思いつくこと単純な話ではなく、そして気の遠くなるほどに考えに考え抜かなければならない。

いつも何とはなしに視聴しているCMはとても精錬された技術の賜物であること、素人が考えても中々捻出する事の出来ないアイディアの数々は正直天晴れというところだ。ただそれはあくまでCMという1つの作品における評価であって、企業が本当にもとめているのはそこからくる商業価値が伴っていなければならない。そしてこの傾向は最近の広告宣伝に見られる特徴と考えられており、必ずしもCMで宣伝すれば、様々な人がCMから内容を見て気になったから、試しに商品を買ってみようという考えにはならなくなっている。こうした時代の特徴も相まって、広告がその力を失いつつあるのではとも考えられている。

おもしろい番組

かつての勢いを失っている

最近、純粋な意味で面白いと感じられるCMが減ってきていると思っている人は少なくないだろう。筆者もそうだ、楽しめるというコンセプトで製作されていたCMの全盛期は既に廃れてしまったと、そんな風に見えてしまうため、哀愁漂っているといえるかもしれない。面白いという一言で注目するなら、最近のテレビが全体的につまらなくなっているという風に感じている人も多いだろう。テレビとテレビCMは別物だが、共通して面白くないというのは本当にある。ただコレがCMの本懐である宣伝としての広告媒体として、その存在意義が失われつつあると考えられてもいる。

果たして本当にそうなのだろうかと思うところだが、こちらについて専門家からすれば半分合っているが、半分間違っているという見解を示している。どういうところで半分なのかだが、それはあまりにも商品のローテーションが矢継ぎ早に登場してしまっているため、宣伝でよく考査することも出来ないまま、新しい商品が登場してしまっているというのも原因の1つという。分かってしまうと感じるのは、やはりそういう傾向に時代が通ってしまっているという証拠だ。

新商品が次から次へと登場していることもそうだが、同系統の商品が数多く同時期に発売されているという点においても、宣伝が上手く機能していないという欠点が露呈してしまっている。筆者はコミックなどを取扱う書店に勤めていた時期がある、その時にも感じたのがあまりにも似たような作品ばかりが主力商材として発売されていると感じることが多々あった。結局そうした中でどうしても自分がいつも贔屓にしている商品だけを取って、新商品に手をつける勇気が出ない人もいると、そういうことなのかもしれない。

企業として利益を求めたくなる部分も確かに理解できなくは無いが、1つの商品に対してほんの少しでも長く宣伝していけば、まだ少しでも利益は伸ばせるのではないだろうか。

心に残るCM

広告ではなく、創造する側にも影響はある

広告の力は本来、非常に影響力のあるものだ。損なわれてきていると感じるのは商品にではなく、企業に問題があると考えた方が早い。ただクリエイターとしての視点で考えても柔軟性に跳んだものが製作されなくなってきているといえる。かつて放送されていたCMの中には、もちろん問題があるとして放送禁止になったものもあるが、内容があまりにも斬新で高い人気を誇っていたCMも存在している。

色々とあるが、そのどれもがユニーク且つ商品の印象を決定付けるものとしては最適だったからだ。

CMの内容はもちろん商品と関連付けるのも手だが、それ以上にCMのインパクトが商品よりも勝っていればそれだけでも十分に効果が絶大だと証明することが出来る。良くわかる例として、金融業者のCMは全てにおいて作りこまれていた。その中でもやはりインパクトがあったのは武富士の、武富士ダンサーズによるCMだ。筆者はそのCMを思いっきり視聴していた世代なので、とりわけ印象が強い。ただその頃は金融業者を利用できる年齢ではなかったため、宣伝している企業がどういったものなのかは知らなかった。

ただその後の顛末を考えてみれば、さすがにあのCMでは少々やりすぎたのだろうと感じる部分もあるが、CMの内容が強ければ単純に会社名を覚えることも簡単であり、そしてそういえばと常に脳裏に焼き付けることもあるくらいだ。広告宣伝と言う存在が揺らいでいるのではなく、単純に企業があまりにも新商品を発売することに注力して、1つの商品にかける宣伝期間が超短期的過ぎるというところに、広告の力が錯覚させている。もしこれで単一の商品に対する広告をじっくり行っていけば全く違う効果をもたらしてくれるのは、誰に言われることもなく予想できるだろう。

CMという広告媒体としての潜在能力